境内を巡る
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境内を巡るGROUNDS

  • 山門

    山門

    建立の時期が明確ではないが、1677年(延宝5年)の大火災の後、当時の大名・毛利氏の加護により再建された。建立当初は茅葺き屋根であったが、明治の末に瓦葺きになった。正面右側の扉の穴は、明治の初めの田原坂の戦いの際、境内に逃げ込んだ人をめがけて打った大砲の跡だと言い伝えられている。傷みが激しかったため、2006年(平成18年)大修理を行い、翌年落慶した。

  • 本堂

    本堂

    本堂は、樹齢2000年以上の台湾檜材の造りで、建築様式は、大内盛見公が創建した当時の様式を復元した優雅な方丈建築を表している(平成2年落慶)。方丈とは、昔、禅宗寺院における住職の住まいをさしていた(それ故、住職を方丈と呼んでいる)。現在では、寺院の法要の中心の場となり、当寺では檀家様のお位牌もお守りしている。

  • 法堂

    法堂

    山門と同じ頃の建立と思われる。法堂とは、僧侶が仏教を講義する建物のことで、仏教寺院の伽藍を構成する重要な建物である。創建当時の南北朝時代には、この伽藍構成(山門・法堂・方丈・庫裡・鐘楼)が成立していたと思われる。一山の住職が須弥段上に上って修行僧や信者に向かって説法をしていた法堂が存在することからも、用堂派という一派を担っていたことがうかがえる。

  • 大書院・聴流殿

    大書院・聴流殿

    重森三玲氏が設計した大書院。川が流れる音が聴こえる書院ということから聴流殿と名付けられた。

潮音洞を巡る

潮音洞を巡るCHOON-DO

潮音洞を巡る

人を喜ばせる水 潮音洞

本堂裏山の潮音洞は、山口県指定文化財である。これは、1654年(承応3年)に、時の代官であった岩崎想左衛門重友が、鹿野村一帯の繁栄のために、錦川上流の水を引くために造った導水路です。
本流からの水路200m、裏山90mのトンネルを経ての清らかな水が、300年以上もこの地を潤しています。
流れる水は、環境省が選定する「平成の名水百選」にも選ばれています。

お庭を巡る

お庭を巡るGARDEN

漢陽寺の庭園は、本堂及び書院を中心として、その四面に作庭されています。
作庭の設計・指導は、日本庭園の権威、故重森三玲氏で、足掛け8年の歳月をかけて完成しました。
本堂裏側にある、潮音洞とよばれる水を引き込むトンネルからの豊富な水を利用した、
流水及び池泉形式と枯山水庭園の組み合わせで様々な時代形式の庭園が作庭されています。
三玲氏の作で、一つの寺院にこれほど多種多様な形式の庭園が揃っているところは珍しく、
日本庭園の歴史が一覧できる、貴重な庭園となっています。

庭師 重森三玲(しげもり みれい)

庭師 重森三玲

昭和を代表する庭園家(作庭家、庭園史研究家)。日本美術学校で日本画を学び、いけばな、茶道を研究し、その後庭園を独学で学ぶ。庭園家としてしられる以前に、昭和8年に勅使河原蒼風らと生け花界の革新を唱え「新興いけばな宣言」を発表(起草)した人物としても知られる。 昭和24年、いけばな雑誌「いけばな藝術」を創刊。前衛いけばなの創作研究グループ「白東社」を主宰し、研究会を続けた。重森三玲作庭の庭は、力強い石組みとモダンな苔の地割りで構成される枯山水庭園。京都の東福寺方丈庭園、光明院庭園、大徳寺山内瑞峯院庭園、松尾大社庭園なども手がける。また、日本庭園、茶道、いけばなの研究者として重要な業績を残しており、主な著作は、日本茶道史、日本庭園史図鑑、枯山水、日本庭園史大系、実測図・日本の名園などが知られる。

曲水きょくすいにわ平安時代様式遣水形式の曲水庭園

曲水の庭

曲水の庭

曲水の庭

曲水の様式は、平安時代から鎌倉時代にかけて流行した庭です。当時の貴族が詩歌を作り、曲水に盃をうかべて遊んだという、まことに優雅な庭です。この曲水を中心に枯山水形式を融合させ、枯滝、築山などの構成を取り入れた、禅庭としては珍しい曲水庭といえるでしょう。

地蔵遊化じぞうゆうげにわ平安時代様式

地蔵遊戯の庭

地蔵遊戯の庭

地蔵遊戯の庭

この庭園は地蔵菩薩が子供と遊戯する様を平安様式の石組みによって表現したものです。枯山水の様式を用いながら、動的な表現を狙いとしています。また、四方のどこからでも眺めることが出来る珍しい庭園です。

蓬莱山ほうらいさん池庭いけにわ鎌倉時代様式

蓬莱山の池庭

蓬莱山の池庭

蓬莱山の池庭

漢陽寺北部の山裾を利用し苔地の築山を造り、潮音洞の水を分流させた流水式の池庭となっています。
石組みは蓬莱式の手法を用い、鎌倉期を思わせる力強い構成となっています。

九山八海くせんはっかいにわ鎌倉時代様式

九山八海の庭

九山八海の庭

九山八海の庭

九山八海とは、仏教における宇宙観のことで、この世の中心には宇宙空間をも超えるような孤高な山があり、これを須弥山と名付け、その山の周囲を九つの山と八つの海が囲んでいる様を言っています。山畔下に築山を造り、鎌倉時代にみられる立石を中央に組み須弥山に見たてた、力強い豪快な庭園です。

曹源一滴そうげんいってきにわ桃山時代様式

曹源一滴の庭

曹源一滴の庭

曹源一滴の庭

北宋水墨山水画の代表的な中国の画家、玉澗が創作した山水画の画風を日本庭園の様式に取り入れたことから玉澗式と呼ばれています。中央部の枯滝上部に高く石橋を架け、その下に鶴亀式の石組みを設け、上部に蓬菜遠山の立石を見せる、北宋画を思わせる構成となっています。

瀟湘八景しょうしょうはっけいにわ現代様式(非公開)

瀟湘八景の庭

瀟湘八景の庭

瀟湘八景の庭

中国の水郷の地の八つの勝景を瀟湘八景といい、北宋水墨山水画の代表的な画題です。“聴流殿”をテーマにして、水の風景を枯山水庭園として作庭しています。枯山水の様式でありながら、モダンアートを思わせる斬新なデザインで、他の庭と全く違った趣となっています。

祖師西来そしせいらい にわ

祖師西来の庭

祖師西来の庭

祖師西来の庭

達磨大師がインドから中国へ渡来し、禅の神髄を伝えた事に由来して、故重森三玲氏の弟子である斉藤忠一氏が作庭。

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