漢陽寺について

漢陽寺についてABOUT

漢陽寺は、山口県周南市鹿野上にある臨済宗南禅寺派の寺院。
寺裏山の潮音洞(ちょうおんどう)より流れ出る遣り水を活かし、
枯山遣水式の優雅な名園『曲水の庭』に代表される様々な庭園があり、
季節によって彩りを見せる。

漢陽寺の歴史

臨済宗・鹿苑山漢陽寺は応安7年(1374)、中国地方を一手に掌握していた大内氏の祈願所として建立され、現在は大本山・南禅寺の別格地として山口県屈指の名刹となっている。開基は左京大夫であった26代当主・大内盛見公であるが、父の弘世公の治世に庵を建て鹿苑庵としたのが当寺の起こりである。開山は室町時代の高僧・用堂明機禅師。弘世公が用堂禅師の高徳を聞き懇請して、これを迎えその教えを乞い、その跡を継いだ盛見公が当地に本寺を建立し、康暦2年(1380)には泰聞して「十刹の地に任ず」という院宜の下賜を受ける尊い寺歴を嗣いでいる。

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名僧 用堂明機禅師

開山 用堂明機禅師

用堂明機禅師は、肥前国・長崎県の大名だった諫早氏の子どもとして生を授かる。幼少期から仏門に入り厳しい修行を重ね、31才のときに一念発起して九州から船で中国の杭州に渡り、名僧名高い径山・萬寿寺の竺源遠禅師に師事して十数年もの修行を終えて帰国された。その後に諸国巡錫の行脚をし、石見国(島根県)に滞在時に大内氏のお招きによりこの地に住することとなる。名声をはせた用堂明機禅師の徳により、明治初期までは「臨済宗用堂派」の本山として、凡そ200ヶ寺の末寺を有していたといわれている。

用堂明機禅師の秘話

漢陽寺の法堂の本尊・聖観世音菩薩さまは、用堂明機禅師の護持仏であります。
用堂禅師が中国に修行に行かれ、帰国の際に風波の難に遭遇し今にも難破しそうになったとき、中国に旅立つ際に母より御守りとして渡された八葉の鏡と、中国の師・竺源遠禅師から頂いた栢の実を空高く投げ、「この鏡と栢の実の辿り着いた地に観世音菩薩さまをお祀りいたします」と御立願をされました。観音さまの妙智力により無事に帰国され、行脚の旅の途中に大内氏のお招きで立ち寄ったこの地で宝鏡が出土し、栢の芽が出ているのを見つけて、「ここぞ私の安住の地」と聖観世音菩薩を安置して護持されたと、寺縁起は伝えています。

開山 大内盛見

開基 大内盛見

ここ漢陽寺は大内氏26代当主・大内盛見公が開基建立された寺院である。1374年の創建当初は父の弘世公が用堂明機禅師を招いて庵を建て、その意思を継いだ盛見公が大伽藍の整った寺院とした。山口市にある国宝・瑠璃光寺の五重の塔を、兄の義弘公の菩提を弔うために盛見公が建立したことはあまりにも有名な話である。

ご挨拶

ご挨拶

漢陽寺は大内氏により1374年に創建された臨済宗南禅寺派別格地の由緒寺院です。平成19年に代替わりをして第21世住職となりました。歴代住職の積み重ねられた功績と先代住職の手掛けた昭和の大改修事業「重森三玲庭園作庭」平成の大事業「新築方丈建築復興」により、寺院境内の景観ほぼ全てが整えられました。
住職新旧交代の儀式「晋山式」の折、師匠である南禅寺管長倪下から頂いた言葉が、「お前のこれから護っていかねばならぬ漢陽寺の漢は、地域すべての中心と言う意味じゃ…。
漢陽寺の陽は、その中心で陽だまりとなっていかねばならぬと言うことじゃ…。」でした。
この言葉を胸に、沢山の方々が漢陽寺に参られ、「何か心が楽になったなぁ」「さぁ、これから頑張ろう!」と、そっと背中を押せるようなお寺にしていきたいと思っております。どうぞ、四季を通じて景色の変わる名庭園、裏山から潺々と流れ出る「潮音洞」の流水の水音に心癒されにお参りくださいませ。

鹿苑山漢陽寺住職 杉村宗一

年間行事

8月15日 孟蘭盆会
10月27日28日 開山忌

拝観時間 料金

  • 拝観時間:9:00〜16:00(最終入館)
  • 拝観料:400円 ※中学生以下は無料
  • 駐車場:約20台(無料)

季節によって夜間特別拝観も行っていますので、詳細はHPで告知させて頂きます。

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